勝間和代氏のメルペイ代表への不愉快表明について

(2019/2/23 1回追記、追記箇所は脚注参照)

 

以下の記事を読んで思ったことを書く。katsumakazuyo.hatenablog.com

 

要点は

  • 客観的に見て、メルペイ代表の発言が「敬意を欠く」とは思えない

 勝間氏が主観的に「不愉快だ」と思うのは、気持ちはわからないでもない。本件に関して誰かが、私に対して身内に対して口頭で「不愉快なんだよね」と言ってきても、あまり違和感はないかもしれない。

でも、「不愉快」の表現を超えて「敬意もなく」という表現ができるほど、人に対して同意を得られるべき類の話ではないと思う。

なぜそう思うか、に入る前にまず前提を整理。

  1. 今回のメルペイ代表の発言の基礎となっている、メルペイのアピールポイントは「メルペイを使えばメルカリというチャネル以外で物が買え、後払い債務となる。メルカリで何かを売った売上金を債務弁済に充てられる」ということである。
  2. 今回のメルペイ代表の発言「新しい本を『借りるようにして読む』という、メルカリとメルペイならではの体験を届けられる」は、上述のアピールポイントから簡単に導かれる話である。また、「本」という商品を、わかりやすいからか使っているが、中古品市場が整っている商品であれば「本」でなくても置き換えられる。
  3. 勝間氏は、そのような使用方法を推奨することに対し「敬意を欠く」と批判している。
  4. では「なぜ、その推奨行為が『敬意を欠く』に繋がるのか」について、そこまで明示はされていないと思う。が、勝間氏記事「著者にとって、本を書いても、原則として新刊の印税しかこないというビジネスモデルだということ」の記載から推測するに、要は「中古市場で売買されることが今より多くなると、本を書いたときの作家と出版社の収益が減ると思う。にもかかわらず推奨するなんて、作家と出版社を苦しめようとしている」ということではないか。

上記前提を踏まえ、私が上述のように「「不愉快」の表現を超えて「敬意もなく」という表現ができるほど、人に対して同意を得られるべき類の話ではないと思う」理由は以下。

  1. リスクを認識した上で本を書いているのだから文句は言えない ― メルペイによって、中古本市場の規模が10から11になったとして―いや万一20、100になったとしても―メルペイの登場前から中古本市場が存在する(した)という事実は変わらない。ここで、本を書いてお金を得たいと思っている、とある人がいるとする。その人は本を書き始める前から、〈中古本市場が存在し、「新刊を買っても、読んだらすぐに売ってしまう」人がおり、それは違法ではない〉を、(通常の日本人であれば)程度の差はあれど認識できると思われる。そして、そんな人の存在が収益毀損のリスクになるのがわかっているのに、その人が本を書いて出版し、実際にそのリスクが発現して収益が毀損されたとしても、その人は文句は言えないと思う。メルペイの登場および代表の発言があったとしても、それは全く変わらない。
  2. 電子書籍で書けばよい ― 仮にだが中古本市場が今よりずっと成長して、物理本を書いている人や出版社の収益が落ち込んだとする。それに対し、「リスクはわかってたんだから仕方ないね」というのが上記1. の言いたいことで、基本的にそれで終わる話だと思っているが、「可哀想だな」という気持ちがでてくるかもしれない ― ただし電子書籍が世に存在していなければ。実際には世に電子書籍は存在する。消費者が他者に売れない電子書籍というチャネルがあるのに、物理本を書いて上記の状況になったとしても、その人に対し可哀想とすら思えない。
  3. 古本市場の存在が社会悪だという主張をするのは自由。でも中古本業者を批判するのはお門違い ― 「中古本市場のせいで、〇〇の悪影響があって―」というように中古本市場を社会悪とし、その業態を規制するように署名を集めてみたりロビー活動をしたり、というのは自由だと考える*1。しかしながら、現状の中古本業者(ただし適法に事業を行っているものに限る)に対し批判するのはお門違いであると考える。人々の需要を予測し、実際にコストをかけて(適法に)事業を行い、収益を上げている、まさに自由な経済活動の現れにすぎないのだから。そして、もともと適法でも、何らか社会的によろしくない経済活動は、民主的な手続きを経て規制が入る、それだけ。

あと数点、思うこと。

  1. そもそも中古本市場がメルペイができる前からそれなりに一般市民に浸透しているものだが、既存の中古本屋(ブックオフ等)だって「中古本市場を活性化しようとしている」と言える。そしてそれは勝間氏の理論からすると出版社と作家への「敬意を欠く」(と批判されるべき)存在ということになると思うが、メルペイに関する記事とは言え、既存中古本屋も同列に批判していないのは違和感を感じる。仮にだが、「既存中古本屋は問題ない」と考えているのであれば理論が破綻していると考える。
  2. *2勝間氏も、原記事でビジネスモデルがどう、電子書籍がどうと言っていることから、私が上で言ったことのうち一部については認識したうえで記事を書いたのだと思う。私が正直なところ(勝間氏に対する勝手なイメージからして)意外だったのは、「敬意を欠く」という客観的に批判する表現を使用したところであった。そしてその表現は当たらない、というのが本記事での私の主張である。もう一つ意外だったのは、「不愉快」という極めて主観的な表現を使用していたところ*3。誰かや誰かの発言を批判するのではなくて、メルペイというサービスの登場を機に、あらためて、出版業界の未来のために、中古本市場について考えていかないといけないと思っています、ぐらいが穏当だったのではないかと思う。
  3. 【雑な感想】勝間氏は原記事タイトルにおいて〈メルペイ。青柳直樹代表取締役は、「新しい本を『借りるようにして読む』という、メルカリとメルペイならではの体験を届けられる」と話す、という記事に対する意見。著者及び出版社への敬意がまったくないと考えます。不愉快です。〉と記載しているが、この著者という表現が少し引っかかった。意味は通じるけど、違和感がある。意味を改めて調べると、辞書により*4 2パターンある。「書物を書きあらわした人のこと」と、「その書物を書き著した人」。私は後者の意味を前提としているであろう記載を多く目にしてきて、今回のように前者の使い方を見ると違和感を覚えたのであった。

 

*1:昨年だったかのブロッキングの議論と似ているが、「出版業界は中古本業者規制以外の考えつく手段をすべて試したけれどもどれも駄目で、言論業界の先細りの速度を少なくとも緩めるためには、最後の手段として中古本業者を規制しなければいけないんです」と言えないと、世間の同意は得られないのではないか

*2:2019/2/23 追記1回目において本項目を追加

*3:これについては個人の感情なので他者がとやかく言うものではないと思っている

*4:2019/2/23 追記1回目において「辞書により」文言を追加