セクハラ講義訴訟問題について

以下の記事で書かれている事案について考える。

「会田誠さんらの講義で苦痛受けた」女性受講生が「セクハラ」で京都造形大を提訴(弁護士ドットコム) - Yahoo!ニュース

「会田誠さんらの講義で苦痛受けた」女性受講生が「セクハラ」で京都造形大を提訴 - 弁護士ドットコム

 

以下記載の要点は「大学側が、必要な注意喚起をしていなかったのであれば、損害賠償が認められる可能性は十分にありそう」。

まず、芸術系についてほぼ知見がないという立場からの記載となる。会田氏というのは有名な方だそうだが、今回の提訴者は会田氏について「知らなかった」ということであり有名かどうかはあまり関係がないため、特段何も調べずに論を進めていくこととする。

下記は元記事からの引用であるが、下記の講義等によって、最後には急性ストレス障害の診断に至ってしまった方が大学の運営法人に対し損害賠償を求め訴えた、という事案である。

講義は、涙を流した少女がレイプされた絵や、全裸の女性が排泄している絵、四肢を切断された女性が犬の格好をしている絵などをスクリーンに映し出すという内容で、会田さんはさらに「デッサンに来たモデルをズリネタにした」と笑いをとるなど、下ネタを話しつづけていたという。 

 まず、大学の(一般的な)講義による障害に関する賠償責任について考える。まず、大学の授業において、学問の自由の観点から言って、上記のような講義形態が許されるべきでないとは思わない。

しかしながら、「一般的な大学運営者」であれば、上記のような講義形態が、受講者に対し急性ストレス障害等を引き起こしうる、というのは十分に予見可能であるのではないかと思われる。よって(上記前提条件の下では)大学側は、予防措置を実施する義務があるということになる。予防措置は、例えば公開講座の要項で、もしくは講座開始前に口頭で、注意喚起をしておくということになるだろうか。

学問の自由といっても、大学(実際に講義をするのは講師であるが、実質的に大学も連帯的に責任を負う)が何も知らないかもしれない人に対し、攻撃的な内容の講義をしてなんらか障害を与えてしまったのであれば、(学問の自由が)大学の賠償責任を棄却するものではないと考える。もちろん、注意喚起等の予防措置ができたのにしなかった場合に限るし、もし政府や裁判所が「注意喚起をしたとしても△△の講義はしたらいけない」などと言い出したらそこで初めて、学問の自由の問題になるのではないか。

では、大学側が予防措置をとっていないという条件において*1、攻撃的な講義を行うにあたり受講者側に障害が発生したら、すぐに賠償責任を負うことになるかというと、さらに、受講生側の予見可能性についても考慮すべきだと思われる。

もし受講生側が、「講義を受講したらすごくショッキングな内容、表現や発言を浴びせられるかもしれない」と予見できたのであれば、過失相殺の考え方が当てはまってくることになる。

本件における受講生側の予見可能性は認められるのか。記事の内容から読み取れる受講生側の属性をもとに*2 考えてみる。受講に際し、会田氏について前提知識の試験があるわけでもなさそうであるから、強いて言えば「(会田氏を知らなくても)会田氏の講義と明示されている講義を、自らの意思で受講しようとする」という属性ぐらいしか認められないのではないか。

そして、「『ある講義を自らの意思で受講しようしている』属性の人は予見可能性が認められるか」という議論は、より一般化すれば「何らか講義を受けようとする者は、講師が攻撃的な内容の講義をしてくる可能性があるかどうかを調べ、その可能性がないことを確認しないと受講をしてはいけないのか」ということになるかと思う。ここは大きく見解の分かれるところだと思うが、私個人としてはそこまでの注意義務はないと思うし、司法も注意義務までは認めないのではないかと思う。

 

以上の記載を踏まえ、まとめる。

大学側は基本的に過失が認められるであろう。重要な論点として受講者側の注意義務の有無があるが、注意義務があったとまでは言われないであろう。よって、大学側の過失は相殺は(少なくとも全ては)されず、賠償責任を認められるのが相当ではないだろうか。

*1:本件について大学側が予防措置をとっていた事実があったのであれば、提訴者側の過失、ということで話は終わりとなる

*2:もちろん、仮にであるが、「今回の提訴者は実は会田氏のことをよく知っていました」というような証拠が出てくるようなことがあれば、予見可能性が認められ、受講生側の大きな過失ということになるだろう